アイヌ神謡集に寄せて

アイヌ神謡集によせて
K617 田口
 
「輪舞」への寄稿依頼を頂いた頃のこと、7月22日の中日新聞に<「アイヌ神謡集」残した知里幸恵>という7段にわたる長文が掲載された。筆者は知里幸恵の姪にあたる横山むつみさんである。内容は、アイヌ神謡集<カムイユカラ>を初めて日本語に訳した夭折の天才少女、知里幸恵をめぐる話である。そこには、横山さんとアイヌ神謡集との出会い、そしてその希有な偉業を永く世に残すべく、幸恵の生地である登別に記念館を建てるに至った経緯などが述べられていた。
控えめな言葉の端々にアイヌ民族の文化伝承への熱い思いが滲む文章であった。知里幸恵が書いたアイヌ神謡集の序文は、文字を持たない民族の少女が書いたものとは思えない、美しく気品に満ちた名文であるが、横山さんの今回の文章にはどこかそれを思わせるようなものが感ぜられた。

 
その記事と相前後して私の手許に「知里幸恵 銀のしずく記念館」から、機関紙である「シロカニペ」の第12号が届いた。題名のシロカニペとはアイヌ神謡集の冒頭の詩句Shirokanipe ranran pishkan<銀のしずく 降る降るまわりに>から取られた言葉である。
  知里幸恵銀のしずく記念館
銀のしずく記念館は2010年に完成したのであるが、建設にあたっては資金の調達を始めいろいろと大変苦労された。金額はさしたるものでもなかったにもかかわらず、募金が思うように集まらなかったのである。私は、たまたま津島佑子さん(作家:1947~2016)が2007年3月に中日新聞夕刊のコラム「紙つぶて」に書かれた一文によってそのことを初めて知った。ちょっと大げさな表現ではあるが、義憤のようなものにかられ、直ぐ貧者の一灯を捧げ、爾来友の会会員としてささやかなご協力を続けている。
アイヌ民族のことは、20年ほど前「北海道旧土人保護法」と云う法律の存在が社会問題となったのを機に関心を持つようになり、以後その歴史を始めアイヌ民族に関連する文献を読み理解を深めるよう努めて来たところである。
*「北海道旧土人保護法」1899年(明治32年)制定。文明国としては些か恥かしい内容で制定後約100年の1997年に至って漸く廃止となった。代わって同年「アイヌ文化振興法」(略称)が成立した。

 偶然と云おうか、たまたまと云おうか、続く7月24日のNHK Eテレ、ベニシアさんの番組「猫のしっぽ」が何とアイヌの人たちの暮らしを訪ねるものであった。ベニシアさんが訪ねたのは阿寒湖コタンであり、知里幸恵ゆかりの登別ではなかったが、例えば山菜を採るにしても5本あったら3本だけを採り、残りの2本は神様のため、翌年のために残しておくというアイヌ民族の自然に対する敬虔な気持ちが随所に窺える内容で興味深いものであった。
どこか殺伐として潤いの感ぜられない今の時代にあって、自然の中に存在するもの全てに神が宿るととらえ、自然に対する畏敬の気持ちを忘れず、自らも自然の一部として生きる、というアイヌ民族が長年守り継いで来た姿勢こそお手本にしたいものと思ったことである。
会報の原稿を書こうとしていた折も折、このようなアイヌ民族に関る色々な事柄が偶然重なることになった。これも何かのご縁かも知れないなどと思い、当初予定していたテーマを敢えて変更した次第である。
さてここからは少しばかり音楽のことにも触れてみよう。
アイヌ神謡集はアイヌ語ではカムイユカラと云うが、ユカラというのは叙事詩を指す。ユカラには「人間のユカラ」(英雄叙事詩)と「カムイユカラ」(神謡)の二種類があり、カムイユカラは神々の世界の物語、あるいは神・自然と人間の関係についての教えを詠うものである。叙事詩であるからには文芸の系譜に属する訳であるが、ここでは音楽のジャンルにも関りを持っている。

アイヌは文字を持たない民族なので全ては口承で伝承される訳であるが、その口承は普段われわれが慣れ親しんでいる朗読のようなものではない。いろりの縁を棒で叩くなどしてリズムを取りながら、一定の節をつけ、繰り返し繰り返し延々と「歌われて」行くものである。節の調べは大体単純素朴で音域は限られている。いわばレシタティーボの繰り返しがどこまでも続くようなものである。フィンランドのカレワラが同じようなものではないかと思う。
アイヌの音楽は、西洋音楽の概念とは少し異なったもののようであり、唄、踊り、語り(ユカラなど)、器楽と云う分野がそれぞれ独立した存在になっているのではなく、互いに関りあって混然一体のものとなっている。似たような例を西洋音楽の中に探せば、バラードであろう。
*伊福部昭「アイヌ族の音楽」1959年より。
特徴的なことは音域が比較的狭く、単純素朴な旋律が繰り返し繰り返し延々と続くことであるが、この単調な繰り返しが限りなく続くことによって次第次第に盛り上がって行き、演奏される場の雰囲気とも相俟って、何か物の怪に憑かれたような不思議な効果を生むことである。
楽器について少しだけ触れると、代表的なものにムックリとトンコリがある。
ムックリは口琴と呼ばれ竹の箆に紐をつけたもので、口に咥えて紐を引っ張ることで音を出すものである。「ビョーン」という音高は基本的には一つであるが、息の出し方や口の形によってさまざまな倍音効果、あるいは音高の多少の変化も得られると云う。単純素朴これ以上無いような楽器であるが、ムックリもまた果てしない繰り返しによって前述したような不思議な効果をもたらすものである。
 6年前、2010年に来日したトリオ・メディイーヴァルというノルウェイの演奏グループがあった。三人の女性歌手の他に一人伴奏楽器を担当した男性がいた。彼はオスロ響のティンパニー奏者と云うことであったが、彼が使用した色々の民族楽器の一つに口琴があった。それはムックリのような竹製ではなく金属製のものではあったが、ムックリ同様口に咥えて指で弾くもので、奏でる音も全く同じ、単調な「ビョーン、ビョーン」でとても興味深かった。
このような楽器はモンゴルや台湾をはじめ世界のいろいろなところで民族楽器として存在しているとのことである。アイヌ民族はさて、どのような経路どのような経緯でこれを手にしたものなのか、そのルーツ、歴史を知りたいものである。
トンコリは樺太アイヌに起源を持つとされる5弦の撥弦楽器である。ギターのように指で弦を弾いて音を出すのであるが、胴は細長い板で作られており、ギターのように空洞になった共鳴胴ではない。胴の表面にはたいてい魔除けなどアイヌの特徴的な紋様が鮮やかな色彩で描かれていて美しいものである。

 
演奏は全て開放弦によるため、フレットもなければ、指で弦を押さえて音の高さを変えると云う奏法もない。いわば5弦のハープのようなもので、音域はおのずと限られることになるが、アイヌの音楽の中では異色の多彩な表現を伝えることが出来るものである。
この楽器は現在アイヌ民族の中でも伝承者はごく限られているようであるが、面白いことに現代音楽の演奏やロックバンドに取り入れられて、思い掛けない出番を得ているとのことでもある。ムックリについても同様の事例が見られるようである。
以上 音楽の話は付け足しとなってしまったがそれも含めて、先住民族、少数民族であるアイヌの貴重な民族文化を、同化政策という名のもとに消滅させてしまうことなく、確たる文化として後代に引き継いで行くことが私たちに求められる責務ではないかと思う次第である。

 

 

2016年10月31日